縁起だるまの目の入れ方と納め方 [ 縁起物]
◆ダルマの目の入れ方と納め方
「縁起だるま」は、購入して祈願する時に、本人や僧侶が墨で片目を入れて、「開眼」させるのが慣わしですよね。
自宅に持ち帰って、自分で片目を入れる時、「右目」と「左目」のどちらから描き入れるのかを迷いそうですが、一般的には、次のようにして「開眼」して納めるのだそうです。
(1)購入したら、「だるま」と向き合って心を鎮めます。
(2)願いを込めて、「だるま」に向かって右(だるまの左目)に目を書き入れます。
※選挙では、「だるま」に向かって左(だるまの右目)から入れることが多いようです。
(3)願い事が成就したら、感謝の気持ちを込めて、「だるま」に向かって左(だるまの右目)を描き入れます。
(4)「だるま」は、年始年末などに、お守りなどと同じように近くの神社・寺社へ納めます。(お焚き上げ・どんと焼きなど)
※お焚き上げ=家庭で1年間お祀りした御神札や御守を神社に納め、浄火によって燃やすこと。お焚き上げをすることで、神々に1年間お守り頂いた事に感謝申し上げる。
※どんと焼きでは、だるまを焼かないとしている地域もあるようです。
なお、「だるま」は、家の悪い気を吸い取ってくれるので、古い「だるま」を神社に納めて、新しい「だるま」を購入することで、「新しい福」が呼びこまれるのだそうです。
また、願いが叶ったら、その翌年は、一回り大きい「だるま」にしていく風習もあるようです。
◆だるまの目の入れ方の由来について
だるまの目の入れ方は、密教の「阿吽(あうん)」に由来するともいわれるようです。「阿(あ)」は全ての始まり、「吽」は終わりを示し、「阿吽」で宇宙のすべてを現すのだそうです。
そして、「だるま」の左目から入れるというのは、陰陽五行からきているそうです。
「だるま」の赤は「火」を表し、「火」は南の方位を示します。陰陽五行では、東より物事が生まれ、西で無くなると言われており、「だるま」を南に向けた場合、東が左目、西が右目の方向を示しているからではないかと言われているそうです。(読売新聞より)
もっとも、縁起物として「だるま」が飾れる神棚は、昔から南側に面しており、向って右は朝日が昇る側で、朝日が昇るときに願をかけて眼を入れれば、夕日が沈むまでに願い事が叶うと言う意味がある、とする説もあるようです。
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◆ダルマの由来 「だるま」は、日本人にとって身近な縁起物ですよね。合格祈願、選挙の必勝祈願、子宝祈願、商売繁盛など願い事の祈願などに、現在でも様々な用途に多く使われています。 ※選挙で「だるま」が使われようになったのは、1930年の総選挙で長野一区の立候補者が使ったことが始まりで、1955年頃から一般化したのだそうです。 この「だるま」の由来は、インドの皇子で禅宗の開祖でもある達磨大師(=本名:菩提達磨(ぼだいだるま))なのだそうです。 重心が低くて転がしてもすぐ起き上がる(=七転び八起き)安定した形の「だるま」は、あるべき心の姿を示していて、どんな困難でも対処できる落ち着きや忍耐力を現しているのだそうです。 崇山少林寺に住み、九年間壁に向かって座禅を続け身動き一つしなかったと伝えられている達磨大師の精神に基づき、「開眼」(=一方の目を書き入れる)を行い、両目が入るように祈願をするとのことです。 ◆縁起だるまの発祥 縁起だるま(=福だるま、高崎だるま)の発祥の地は、水戸光圀が帰依していた中国僧・心越禅師が開いたといわれる群馬県高崎市の少林山達磨寺なのだそうです。 約200年前の天明3年、浅間山の大噴火などの多くの天変地異により、大飢饉が起こりました。 その時、天変地異の邪気を祓って農民を救うために、達磨寺の9代目住職である東嶽和尚は、心越禅師が描いた「一筆書きの達磨像」を木型に作って張子だるまを農民に作らせ、七草の縁日に売り出されたのが「縁起だるま」の始まりだそうです。 そして、その後に東京都の多摩に伝わっただるま(=多摩達磨)の製法が、神奈川県平塚市に伝わり、長島家が独自で作り始めたのが相州だるまの起源だそうです。 相州だるまの特徴は、恐い表情の中にある和やかな顔、赤い衣に丁寧に描かれた豪華な模様です。なお、金目でヒゲ付きのだるまも個数限定で製造されています。
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